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連続テレビ小説「わろてんか」83



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1 :衛星放送名無しさん : 2018/02/03(土) 07:45:51.71 ID:2Kj8fyVNd
連続テレビ小説 わろてんか
https://www.nhk.or.jp/warotenka/
公式Instagram
http://instagram.com/nhk_warotenka

連続テレビ小説「わろてんか」82
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livebs/1517579206/


2 :衛星放送名無しさん : 2018/02/03(土) 07:46:38.73 ID:zgBbF4ZzM
リリコさん いい人なんですよ

1946年、阪急西宮球場での野外演芸会の帰りに、阪急西宮北口駅のホームで、ワカナは心臓発作を起こし、36歳の若さで急逝する。

ヒロポンの中毒と過労が原因だったと俗説されているが、当時の付き人の女性の「死ぬ2年ほど前から薬物は止めていた」との証言もあり、直接の原因ではないだろうと言われている。
なお、ヒロポンの中毒に至ったのは、一郎の知り合いに看護師が居たため、勧められたのが要因だったと言われている。また、自宅が京都木屋町で近所で亡くなる当日も一緒に
仕事の阪急西宮球場にハイヤーで向かった女優の森光子によると、小声で「これ ハイッ!!」と言われハンカチに包まれた小箱を渡された、中を確認したら薬が入っていたという。
その後、阪急西宮球場を帰宅の際に「さっきの箱おおきに」と言って再び受け取り帰ったという。森によると、晩年はヒロポンではなくナルコポンを打っていたという[3]、
また島ひろしによると1940年頃からヒロポンを覚え1942年頃から中毒が酷くなり終戦直後は楽屋に閉じこもったり、意味不明な事言ったり書いたり、舞台のネタを間違えたりとちったりするなど、
異常をきたすようになったという。また、睡眠薬をやっていたとか、心臓に病を持っていたとも聞いたという


3 :衛星放送名無しさん : 2018/02/03(土) 07:46:56.59 ID:zgBbF4ZzM
ワカナが世を去った後、一郎は2代目ワカナ(後のミヤコ蝶々)とコンビを組むが、半年で解消。
その後一郎は、3代目ワカナ(初代ワカナの実の娘である三崎希於子)、4代目ワカナ(元ミスワカ子で後の河村節子)とコンビを変えて、
1963年に一郎が亡くなるまでワカナ・一郎としての戎橋松竹や角座、吉本の旧うめだ花月などで漫才や創立当初の「吉本ヴァラエティ」
(現在の吉本新喜劇)の出演などを続けたが、もはや全盛期の輝きを取り戻すことはなかった。
著書には「旅のつれづれ」がある。これは、1946年に地方巡業の際に書き記した日記を著書として、弟子の松森和夫より公表された。
ワカナの弟子にミスワカサ(相方は島ひろし)、ミスワカメ、ミスワカ子(後の4代目ワカナを経て河村節子)、ミスワカバ
(後の西川ヒノデ・サクラの初代西川サクラ)、女優の森光子[要出典]。らがいる。一郎の弟子に玉松キャップ、近江吾朗
(河内音頭、江州音頭や浪曲の曲師)、玉松3郎・8郎らがいる。また多芸で比較的ワカナと芸風が似ていた富士蓉子は
「東京のミスワカナ」と言われ人気を博した。
1958年3月に、松竹と新生プロダクション、上方演芸(後の松竹芸能)の3社合同でワカナの追善興行が行なわれ、
弟子や縁の芸人が多数出演した。


4 :衛星放送名無しさん : 2018/02/03(土) 12:17:29.99 ID:wdeiYBh5a
>>1
無駄なスレ立てるなよハゲ


5 :【柬雪86.7 %】 : 2018/02/03(土) 18:10:52.59 ID:FlfrALru0
探偵ごとき


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